ペルシア人
「ペルシア人」のもととなった地名「ペルシア」は、ハカーマニシュ朝(アカイメネス朝)史やサーサーン朝の発祥の地とな
った現在のイラン、ファールス州周辺地域(ファールス地方)の古称「パールサ」に由来する。日本語に入った「ペルシア」
は、これがギリシア語からさらにラテン訳されて、西ヨーロッパの諸言語を経由して伝わったものである。
サーサーン朝時代には漢文史料でも「波斯」という語が使われていたように、この王朝の支配領域を指す他称として用いられ
ていたのであり、この時代のギリシャ、ローマの人々にとっては、「ペルシア人」はペルシアの国の人々を漠然と指した。
中世ギリシア語
中世の東ローマ帝国で、ギリシャ語で「ペルシア人」という語を用いるときは、しばしば小アジア(アナトリア)から東方に
住む民族を指して用いられた。このためセルジューク朝、ルーム・セルジューク朝やオスマン朝のトルコ系民族も「ペルシア
人」に含まれ、「ペルシア人」は必ずしもペルシア語を話す民族を指していない。
これは、東ローマの知識人が古代ギリシャの古典文化を尊ぶ傾向があり、周辺の異民族に対しては、古代ギリシャ時代にその
地にいた民族の名前をあえて使用することを好んだためである。他にも、彼らはルーシの人々を「スキタイ人」と呼んでいた
りすることもある。
アラビア語・近世ペルシア語
サーサーン朝を滅ぼしてその旧領域のほとんどを支配するにいたったウマイヤ朝では、支配下に入った旧サーサーン朝の人々
をアラビア語でアジャミー「わけのわからない言葉を話す者」を意味する)と呼んだ。
アラブ人から見て「アジャミー」と呼ばれる人々は次第にイスラム教に改宗し、アッバース朝の後期にはサーマーン朝、ブワ
イフ朝などのイスラム王朝を建国した。こうした諸王朝もとではアラビア語の文字と語彙を取り入れた「近世ペルシア語」の
文学が発達し、「ペルシア人」による自己意識が高まったとされる。この時代、彼らはアラブや、別の隣人であるテュルク(
トゥーラーン)に対して自分たちをイラン(イーラーン)の人であるとする自意識を持ち、イラン人(イーラーニー)の自称
が形成された。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
現代のイランを中心とした地域に住んでいるそうです。
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